国際的な人とは

COINTELPROレポート トルコ共和国編 その2

July 23, 2012

“It’s a Sony!”

六時半起床。ホテルのプールが清掃中のため、開くまでの時間、裏庭を抜けて丘に登り朝のGöremeを散歩。観光客と夜型トルコ人とで、いつまでもごったがえしていた昨晩の賑わいが噓のように静まり返っている。のどかな朝。かなり遠くを飛んでいる観光用の熱気球から時折、「ゴーッ」とバルーンを加熱させる炎の音が、空気を震わせながら伝わってくるのがわかるほどの静寂。
地元の早起きの老人に、通りすがり会釈すると、同じように会釈を返してくれる。
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正午前、当地に住む、連れの知り合いと合流してCappadocia奇岩めぐり。アジャンタやエローラ、敦煌のように断崖を掘って作った住居や教会跡をいくつも見て廻る。その史跡のひとつ、小高く天に突き出した山のふもとで入場料を払い、中腹に掘られた部屋を見学しながら頂上までの急勾配を一気に登る。辺り一帯を一望できるてっぺんに着くころには、どの観光客も息を切らせ、汗をしたたらせている。乳白色の奇岩が織り成す幻想的な景色が目に飛び込んでくる。山頂を吹き抜ける風と共に疲れも吹き飛ぶ。たしかに他では見られないCappadocia独特の絶景をバックに、知らないもの同士がカメラを交換し、お互いの写真を撮りあう。
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この日は、なぜかスペインからの旅行者が多かった。男女3人組の気のいいスペイン人グループと冗談を言いながら、カメラを交換し一緒に記念撮影したときのこと。その男性から手渡されたデジタルカメラは、どこか調子が悪いらしく意味もなく「ジー」という耳障りな音をたてつづけていた。「あ、気にしないで。写真撮るのには問題ないから」と説明したあと彼は「Sorry, this is a Spanish camera.」と言って笑わせた。なお、アメリカ人はこういう自虐的なギャグは、まず言わない。万一言われても、うっかり笑うと、どこかで集団ストーカー犯罪者が聞いていて、後で嫌がらせされそうな、そんなヤクザ的な嫌らしさがあるから下手に笑えない(笑)。

 勿論、このスペイン人男性の場合は、陽気な冗談のつもりで言ったのだろうが、よく見るとそのカメラ、Sony製ではないか。そこで「But it’s a Sony!」とこちらが笑うと、彼は無責任にも前言を翻し、こちらが日本人なのをふまえて「Oh,yeah!? What happened to Sony?」と、おどけて笑う。私はソニーの技術者ではないから、そんなこと知らん。「苦情はSonyに言ってくれ」と返した。


話は飛ぶが、ソニーといえば10年ちょっと前、盛田氏が「アメリカ人は国際性がない」とのたまって、在米日本人の間でも「へえ大胆なこと言うなあ」とか「さすが世界のソニーだから言えることだよな」と反響を呼んだ。

しかしこの20年、アメリカ人は思考解読機器(ソニーも開発競争に関わっている)から、拷問・暗殺機器まで、変態的ともいえる兵器の開発とその同意なき人体実験に狂奔。その結果、物的証拠を取られにくい手口で人の生活や人格を破壊したり、マインドコントロールしたり、殺害したりする様々な道具をGPSと組み合わせ非合法に濫用し、人間の自由と尊厳を完全に剥奪する完全犯罪システムを構築し日本にも輸出した。このアメリカ人による国家犯罪、ネオ「コインテルプロ」とネオ「MKウルトラ」、すなわち俗に言う集団ストーカー犯罪が露見した今、盛田氏の言葉の意味がよくわかる。

自分が変わる(成長する)努力を放棄し、他人を変えてやろう(マインドコントロールしてやろう)という、その基本コンセプトが、人間として間違っており、狂っていたことに気付き始めた者もいるにはいるが、アメリカ人はこの点、もっとも自惚れがひどく、「俺達は世界の警察官だ」などとトンデモない勘違いしながら「世界のギャング」みたいなことをやっている愚かさを改められない者が、いまだに多い。だから集団ストーカーという国家犯罪を認め謝罪することもできない。これこそが盛田氏だけでなく現代の世界中の人々をして「アメリカ人は国際性がない」と思わしめている理由ではないか。

私個人は古き良きアメリカのことを直接リアルタイムでは知らないが、古くからのジャーナリストの文献や、アメリカの年配者を観察するにつけ、昔のアメリカ人はもっと寛容で、まともだったように見受けられる。人間の多様さを素直に受け入れる度量も今よりあって、それがアメリカの活力にもつながっていたのではないかと思われる。

それが、集団ストーカー犯罪によって煽られた恐怖心をテコに、他人を思い通りに従わせる味をしめた連中が跋扈し始めた頃から、アメリカ人の傲慢さに拍車がかかり、引き返せないところまで人間が腐敗し健全さを失ったように見うけられる。代りに秘密警察が支配するファシズムが台頭し、国全体が中国や北朝鮮のようにカルト化。もはや健全な活力を失って久しい。

あとは転がりおちる石のように、集団ストーカーによって、批判者を黙らせるヤケクソな行為が横行し、ますます社会を弱らせ、さらに弱体化した社会が虚勢を張りつづけるために、ますます集団ストーカー行為に依存するという悪循環が繰り返されるようになったのが現在のアメリカのようだ。

このvicious circleから抜け出す手立てのひとつとして、まだアメリカほどコインテルプロに毒されていない国に出かけ、現地の人々の間に飛び込んでみるのもいいだろうというのは既に述べた。きっと己のおかれた環境が少しは客観的に見えることだろう。この度、同じ多民族国家でありながら、中国やアメリカほど病んではいない国、トルコを旅して、そう実感したのも先述したとおり。

ついでに思い当たったことだが、そういえば知り合いのアメリカ人のなかでも、懐が広いというか、ああ、この人は人格が練られているなと思わせる人には、これまで海外のいろいろな国に旅行や滞在した経験が豊富で謙虚な方が多い。(ただしその逆は必ずしも真ではないが)

トルコ旅行から戻り、友人にお土産を渡すため、昼食を一緒に食べに行ったときにも、こんな会話をした。
「でもやっぱり英語が通じない国に行くのは不安だな」と友人。
「え、なんで?(アメリカ人の)悪口言われても、わからないから?」と、からかう私。
すると「ううん、別に。そういうのって当ってること多いし」と健気な彼女。
この友人も毎年のように、しょっちゅう海外に出かける旅行好き。しかし、彼女を「国際的」にしているのは、それだけではないだろう。この会話のような謙虚さが、国籍は違っても相手に安心感を与え、自然に色々な国の人と友情を育むのを可能にしている。それが国際性ある人柄につながっているのではないか。

「英語(外国語)ができることが国際人になる条件ではない。」
日本でも既に言い古された言葉だが、その正しさを彼女もまた教えてくれた。国や時代がどれほど変わろうとも、人間本来の美徳というものは、それほど違うものではない。その共通した美徳が解ること、それが解る者同士がお互いに対等な人間として敬意を持てること、それが「国際的な人づきあい」ではないかと思う。

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COINTELPROレポート トルコ共和国編 その2July 23, 2012“It’s a Sony!”六時半起床。ホテルのプール

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Author:yenu
The Writer of 『拝啓 ギャングストーカー犯罪者の皆様』(Dear COINTELPRO Criminals) and <集団ストーカーの死> The Death of Gangstalker; also Co-Editor of 「新しいタイプの人権侵害・暴力」 Unprecedented Human Rights Violation

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