『拝啓 ギャング・ストーカー犯罪者の皆様へ』

【集団ストーカー犯罪者たちの犯行声明】

2005年 夏

 父の死について調べはじめ、集団ストーカー関連の掲示板に被害告発をしていた際、
それに対し同犯罪に関与したと思われる者たちが以下のような書き込みをしてきた。

「ここは、やっちまったことを総括するスレか?」
「自殺は戦果として報告される」
「これは戦争である。末端たちはわかってないだろうが」
「孫子の兵法」(プライバシー窃盗により「敵の弱みを知る手法だ」という意味と思われる)
「また脳直で聞かせてやるw」 (英語圏で俗にV2Kと呼ばれる危害のことらしい)
など。
 
  *********************************************

 これについての私見です。
  「これは戦争である。末端たちはわかってないだろうが」
  「自殺は戦果として報告される」
というネット掲示板の書き込みは、犯罪者らが「自分らは戦争をしている」
と妄想することによって、結果的に人殺しにつながる各々の行為が
卑劣で変質者そのものの犯罪にすぎないという現実から逃避し
罪悪意識を誤魔化していることを図らずも語っています。
 
  こんなことを言うのもバカらしいですが、本物の戦争ならジュネーブ条約など
交戦規約というものがあり無抵抗の非戦闘員へ意図的に危害を加えれば
戦犯というりっぱな犯罪です。
だいいち味方や自分自身の命も敵と同じように死にさらされて初めて戦争といえるのに、
なんとも「安全」で、「卑怯」&「臆病」と言う日本語を絵に書いたような犯罪しかできず
司法・警察もグルになり捕まることはないだろうとタカをくくる集団ストーカー加担者に
正規の軍人など務まらないでしょう。

 それでも集団ストーカー各人の頭の中では、私のようなただのオッサンが「敵」に見え、
集団でプライバシーを窃盗・侵害し一方的に嫌がらせして殺してやらなければ、反対に
自分らの頭上へ砲弾でも落下してきて戦死するかもしれないといった類の
脅迫妄想でもあるのでしょうか?

これでは、
「誰でもいいから殺せ、さもないとおまえが殺される」
と天から声が聞こえてきて命令されたので通り魔殺人をやりました、
と説明する精神障害者と集団ストーカー犯は一体どこが違うのでしょうか?
 己の実態がわかってないのは「末端」の実行犯だけではなく、
「これは水面下の戦争(COVERT WAR)である」などと煽っている
ストーカー犯罪教唆犯諸君も同じであることに気づかないのでしょうか。

 たしかに集団ストーカー犯罪は「十分に計算された組織的な恐怖を“敵”に対して
継続的に加えるテロの手法」(佐藤龍巳『テロリズムとは何か』)が
採用されているかにもみえます。
しかし大儀のためなら戦闘で死ぬことも厭わないテロリストとは違い、この組織犯罪は
教唆する犯人像をどこまでたどっても所詮、「動機は私的欲望」であり、
プライバシーの「窃盗」、「人権侵害」を手段にして精神・肉体的暴力を加え
標的の生活を妨害し、人格を破壊させたり自殺させたりして、
ただの人殺しをやり、やらせるだけの犯罪にほかならず、
極め附けには「そんなことはしていない」と嘘をついて逃げ続けるところまで、
ことごとく単に臆病な「犯罪」にすぎません。
こんなのをテロと一緒にしたら命がけのテロリストが怒るでしょう。

 戦争(正規戦)とは別に、テロも犯罪も古代より存在する。しかしテロや犯罪の
ように卑怯な手法が人類を完全に支配するほどの「優れた手段」であれば、
淘汰によって人類はとっくにテロリストと犯罪者だけになっているはず。
しかし文明が生まれてからでも既に数千年経過した歴史の中でそのような世界は一度も
現出していない。

 テロの世紀と呼ばれる21世紀の真っ只中にいる現代人は、
これが永遠に続くかのような錯覚を持ちがちだが、
人間には悪と恐怖を乗り越える「修復力」が備わっていることは
歴史が物語っています。

【人間が持つべき最も大切なもの】

私が小学校に上がる直前の四月、母は腹部に激しい痛みを訴え入院しました。
小学校の入学式にはその日だけ病院を抜けて出席してくれましたが、
またすぐに入院して開腹、末期の胃癌と判明しました。
  本人や子供の私たちには知らされませんでしたが、そのとき既に手の施しようがなく余命一ヶ月もないかもしれないと医者は父に告げていたそうです。
母はあまりの痛みに耐えかね、ときどきベッドから転げ落ちるほど苦しんだりもしましたが、それから数ヶ月生き延び、夏を越しました。

長い夏休みが終わり2学期が始まったばかりの残暑厳しい9月5日、同じ小学校の六年生だった姉が先生に付き添われ当時一年生だった私の教室の前に現れ、二人で急いで母の入院する病院へ向かうよう指示されました。
 学校の正門には既にタクシーが待っていて高速道路を飛ばし病院へ向かいました。
運転手のおじさんが
「高速代は要らないから早くお母さんのところへ行って上げなさい」
と言ってくれたことを記憶しています。

  病室に入ると集まった人たちが必死に母に呼びかけていましたが既に意識が遠くなった母はただただ苦しそうに息をしていました。
父はベッドの傍で腕を組みジッと悲しみに耐えていました。
父の目に涙が浮かんでいるのを見たのは私の人生でそのときが最初で最後でした。
  後日、父がよく話していたのは、母は言葉が出せる最後の瞬間まで
「死にたくない。子供のことが心配でならない。まだ面倒を見たい」
とひたすら私たち子供を心配していたということでした。

  葬儀も終わり菩提寺の住職さんがお経をあげ終わった後、やさしく微笑みながら「お母さんは、いつもボクの心の中に生きておられるよ」と、だから寂しく思う必要はないよと、語りかけられました。  

 それから数十年、何度となく訪れた逆境で自分を救ってくれたのもこの二つの言葉だったように思います。死にたいほど辛いときでも、「生きたくても生きられなかった」母に申し訳ないことにならないよう生きようと、その言葉がいつも自戒と励ましになってきたように思います。
  
すべての生命にとって克服するのが最も難しいのは死であり、今までいた世界に別れを告げる悲しさであるでしょう。
 死を迎えたそのときになっても自分の苦しみよりも私たち兄弟のことを心配してくれた母のその想いが何十年もそして今も私の心を支えてくれました。

 まさに今この瞬間にも「自分さえよければ人が苦しもうが死のうがどうでもいい」という獣のような者たちが集団で跋扈し他人が幸福になる権利を蹂躙し狂乱の世界を繰り広げています。
この欲深くて卑しい者の狂気の沙汰に触れた人間のほとんどは、共に狂いその犯罪を手助けするか、そうでなければ恐れおののき為すすべもなくただ傍観するのみです。

 しかしそんな狂乱のさなかにも、正気を保ち、理不尽な危害を看過せず他人の苦しみを思いやる心を忘れていない人たちもおり、その一人と最近知己を得ることができました。そしてわかったことは、この理不尽さに耐えている人々の苦しみを減らすには、おおよそテレビに出てくるような富や権力や名声に執着するものたちは利私欲のためにどんな汚い嘘でも平気でついて逃げるだけで責任のがれに汲々とし、何の役にもたたないということ。
反対にありふれた生活を送りながら、大犯罪に臆しない勇気と正気を保った普通の人たちの思いやりの心こそが、かろうじて我々人間を人間たらしめていることでした。


「音声送信」で、12年以上毎日セクハラされ続け普通の人が普通に楽しめるはずの人生を奪われた、ある被害者に接した女性の方はメールでこんなふうに書いて送ってくれました。

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「こんなことが、同じ人間が、人間に対してできるものなのか。
 その被害者の話しを聞いた後から、やるせなくて、
何をしていてもいつも泣きそうな気持ちになります。
彼女と会った次の日、女友達の恋愛相談を聞きました。
・・・自分の好きな男友達が自分のことをどう思っているのか悩んでしまう、
と言う内容のガールズトークを楽しんで聞きました。
普通の生活で女友達と話すのを楽しみながら、でも、心底では泣きそうでした。

被害者の女性も、恋愛相談をする女性も、同じ人間で同じ女性なんですよ。
同じように日本で生まれた綺麗な、人間の、女性なんですよ。
被害者の女性だって、そう言う普通の恋愛の悩みだとか、仕事の事とか、そんな事だけを悩んでいられる人生だったら……
加害者がその兵器を悪用しなければそれが可能だったんですよ。」

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  また9月5日がやってきた。この世で一緒に過ごせたのはほんの7年ほどで、こうしてあなたの命日を心静かに迎える年月のほうが、その何倍もの長さになってしまい、最近はもう何回目の命日だったか数えるのも億劫になりました。

 先月、奇しくもあなたがこの世を去った時と同じ歳になりました。
あなたが亡くなったときと同じ年齢になってわかったことは、誰もがいずれは死を避けられないこと、そして人はどれだけ長く生きたかではなく、どのように生きたか、どのように死んでいったかが大切なのだということです。

たった7年の短い間に、人間が持つことのできる、いや持つべき最も大切なものを私の幼な心に刻み付けてくれた母へ今日もいつもと変わらぬ感謝を捧げます。 

【K先生と白石オーナー】

  電磁波被害ブログでは定評のあるトケイソウさんのサイトを
久しぶりに見て思いだしたことを一点、報告します。

トケイソウさんは戦国武将、甲斐・武田家に仕えた一族の末裔だそうですが、
この記述をはじめて見たとき
「ああ、やっぱりこの人もか」
とすぐにピンときて、この事実だけが一度で強く頭に焼きつきました。

  それというのも自分と縁のあった方のなかで、この犯罪被害に遭われていると
最初に知ったのが、やはり少なくとも江戸時代前後から家系のはっきりしている
士族の子孫の方たちだったからです。

  ちなみに我が家も室町時代くらいまで遡ることができる古い家で
もともと四国の武将でしたが、仕えてた主君が戦国武将の長宗我部との
争いに破れたため、対岸の山口県の下松(くだまつ)という地に移り住み着き
名字帯刀を許され代々大庄屋をやっていたそうです
(そのため父方の親戚は今でもこの町に集中しています)。
江戸時代には毛利家の殿様が参勤交代で移動する際
わが家の邸宅に寄って泊まるのが恒例になっていた話しなどが郷土史の本にも
載っていたり、戦前は陸軍中将まで勤めた方や政治家になった方も親戚にいて、
祖母がよく
「佐藤やら安部(ともに山口県出身の首相)は昔はウチより格の低い家じゃった」
と言ってたのを覚えています。

清木素 三井寛静 広本茂夫 小川宣 『周南地方歴史物語』 瀬戸内物産出版部

久保市から久米へ

花岡には毛利家の茶屋があった。幕末の文久元年(一八六一)、萩藩主毛利敬親は朝廷と幕府との間の時局収拾をするため上洛した。この年九月十六日萩を出発し、二十二日花岡のお茶屋に着いて約二週間休養した。・・十月三日には散歩がてら西市の林三右衛門宅を訪れ、海のよく見える場所に行ったが、天気もよく海も静かであった。数十隻の漁船が眼前で魚を取ったが大漁であった。その魚を林宅まで届けて料理をし、宴会をした。二日後には敬親一行は東へ向かって出発していった。(p.p.80-81)

周慶寺

元和四年(一六一八)徳山藩領主毛利就隆が、母の清泰院殿周慶大姉の追善のための菩提寺として七堂をこの地(下松市中市)に建立し、寺号を母の戒名にちなみに、麟祥山大蓮院周慶寺と称し、周慶大姉の霊牌と拝み墓が今も残されている。
延享元年(一七四四)林家の菩提所として[周慶寺境内に]浄土宗念仏堂を創建、本尊阿弥陀如来像、脇侍の勢至菩薩、観世音菩薩の三尊が安置されている。十六世順能和尚が観音堂を建立し、本尊の如意輪観音は毛利就隆の念持仏と伝えられ、三十三ヵ所観音も勧請されている。(p.133)

花岡八幡宮と閼伽井坊塔婆

花岡八幡宮は、花岡山にあり、和銅二年(七〇九)豊後国(今の大分県)宇佐八幡宮より御神体を勧請して創建した、古いお宮である。
・・境内に国の重要文化財に指定された閼伽井坊塔婆がある。この多宝塔の建造年代については、藤原鎌足の建立と伝えられ、日本一六塔のひとつであるともいわている・・・。
その外、八幡宮には市の指定の有形文化財として、破邪の御太刀一口がある。長さ三・六mで、安政六年(一八五九)藤原国綱の作、この年はちょうどこのお宮の式年大祭に当り、氏子が、刀匠国綱に製作を依頼したもので、弟子五人、手伝二人を従え、砂鉄三百貫を鍛え上げ、川をせきとめ、焼きを入れて作りあげたという。(p.p.134-135)
[※花岡八幡宮の社務所近くの大鳥居には江戸期の林家の寄贈者、林又右衛門の銘が彫られている。また参道入口とJR岩徳線踏切の間にも江戸時代、林家が寄贈し同様の銘が彫られた神輿を置く石台が設えられている。]



  別に家系自慢するために紹介しているのではなく、どこの国でも
封建時代に支配階級だった家系の者を急進派や過激派が目の敵にし
ときに虐殺なども起こることは、古くは農民や町人が王様をギロチンするという
前代未聞の事件「フランス革命」を始め、近年では文化大革命やポルポト政権下でも
見られた現象であり、とくになんでもいいから口実を作って多人数の大衆を
動員する必要のある集団ストーカーの教唆犯にとって、
旧支配階層の名残を残す者は、大衆の嫉妬を抱かせるための
格好の標的にしやすいという事実を指摘したいからです。
自衛隊情報本部に勤務された池田整治陸将補のご著書でも、
この手法こそアングロサクソン民族がアジア・アフリカ諸国民を侵略、植民地人化する際の
常套手段であることがあきらかにされています。

 
 さて私が最初に知った身内以外の被害者2人のうちの1人も、
やはり江戸時代から代々学者の家系で、
東京外大で助教授をされていたK先生という方でした。

 自分が同大へ入学した1990年当時は一説によるとまだ日本では
「マインド・コントロール・システム」とその隠蔽のための
ガスライティング犯罪(集団ストーカー)活動は始動したばかりの頃らしく、
またインターネットなども一般にはありませんでしたから当然そんな大掛かりな
組織犯罪の全貌など知る術もありませんでした。

しかし、そのK先生は少なくともガスライティング犯罪には気づいていたようで
ライバル関係にあったZという助教授を名指しして
「また Zに邪魔された」
などと憤慨しながら言っているのを何度か聞きました。
たしかにこの両先生の犬猿の仲ぶりは学生の間でも有名で、
その子供じみた悪口の応酬や、自分が懇意に面倒を見ている学生に対して
相手方の研究室には出入りしないよう圧力かけたりすることは
私も先輩から聞かされておりましたが、当時は大学の先生というのは
こんなものなんだろうくらいにしか思っていませんでした。

  K先生のお供で都内や海外のホテルのロビーで一緒にいるときなどにも、
通りすがりの人を視線で示して
「あいつはスパイだ」と言っているのもよく聞きました。
今となってはそれがまさしく被害者だけが気づくような素振りをして見せ、尾行・監視を
ほのめかす集団ストーキング実行犯のことだったのだと私にも理解できるのですが、
先生は昔から(おそらく今でも)ネットは全く使われないし集団ストーカーという言葉は
ご存知なかったために、「スパイ」と表現されていたのでしょう。

  K先生のご祖父はその道ではつとに有名な言語学の大学者であり、
お父様も東大出身の国語の先生で戦前、台湾で教えていたときの教え子の中には
あの李登輝元総統もいたとのこと。
K先生ご自身も若い頃から学術賞なども受賞され将来有望な方だったらしいのですが、
残念なことに、この犯罪による長期の被害により神経を患われて入院されたり、
学内での陰険な策略もあったらしく、才能を存分に発揮されることなく
2006年に助教授で中途退官されています。

  もうひと方は白石さんという、やはり四国の士族の家系の女性です。
お父様と二人の男兄弟とも皆、東大出なのに彼女だけ大学すら出ていないことが
コンプレックスだったと、白石さんはいつも謙遜されておられましたが、それでも
女性が高等教育を受けること自体がたいへん希少な戦前に、
学習院女学校を出ておられ、皇族関係も含め
日本の古くからの(成りあがりではない)上流階級の方々にも広く人脈があった方でした。
 上述したK先生が好んで出かけていた伊豆の貸し別荘のオーナーがこの白石さんで
学生時代にK先生の紹介でバイトさせてもらったのがきっかけで知己を得ました。
それ以来、学校が長期休みの度にそこへ住み込んで働き、
当時つきあっていた彼女ともども家族のように可愛がってもらっていました。

  そんな本当の母親みたいでもあった白石オーナーには
タイと日本人のハーフのVCさんという数十年来の古い友人もいて、
私が住み込みでバイトしているあいだにもよく泊まりに来て仕事を手伝って
いくことがありました。

 そのVCさんについて、
「VCはスパイだよ」
とK先生が何度か仰るのを聞いても、残念ながらこれも当時まだ
私がこの組織犯罪について認識がなかったために
正直いって何のことかわかりませんでした。

  しかし私とVCさんと白石オーナー3人が同じ家屋で寝泊りしていたある夜、
突如、夜中に白石オーナーが錯乱したかのように階段を大きな物音を立てながら
下りていきVCさんが何か怒鳴りながらドタバタと後を追う足音を
布団のなかで聞いてギョッとしたことがあります。
また白石オーナー自身も“自分は気がふれたらしい”みたいなことを時々
冗談めかしながらさりげなく言っていたこともありましたが、私は悪い冗談くらいに
しか思っていませんでした。

他には膝が無性にムズムズして神経が苛立ち眠れない日がよくあること、
VCさんは元共産党員だったこと、そして
「VCとは、あなた(筆者)が生まれるよりも前から
家族ぐるみで何十年もつきあって気心も知れてるんだけど
でも絶対に心を開かない部分があるのよ」
といったことなどを、ときどき口にされていました。

その白石さんが2005年9月4日に亡くなられました。
「変死」だったとのことです。まだ60代半ばでした。
白石オーナーの所有されていた貸し別荘のすぐ近くに
伊豆に別荘を持つあのタモリもお忍びで時々現れるサヴォイヤという名の
イタリアンレストランがあり
私もよく連れていってもらった店なのですが、
亡くなられた当日夜、そこで地元の人たちが見たことのない男と白石さんが
二人きりで食事しているのが目撃されたのを最後に、翌日、風呂場で
死体になって発見されたそうです。
お住まいだった静岡県伊東市の田舎警察の手に負えるような事件ではなく、
随分聞き込みも行われたそうですが、
死亡原因は不明だと電話でK先生より聞かされました。

  それは私の父の死から一年後、犯罪者たちからの脅しもピークに達した
時期とまさしく重なり、ちょうど私自身が、
脳内に生じる微弱電気シグナルから脳の活動情報を読み取る装置の悪用、
すなわち俗に言う「思考盗聴」も含めた大規模なガスライティング犯罪の全容を把握し、
白石オーナーにも何年かぶりながら、急いで連絡を取って知らせようとした矢先の出来事
だったため筆舌に尽くしがたいショックでした。

(日本時間の)今日2010年9月4日は白石さんの5回目の命日。
阿弥陀経に俱会一処という言葉があるが、白石さんに再びお会いすることがあるとき
恥ずかしくないように日々を生きようと襟を正す。



*このお話しを他の3名の被害者の方々にもメールで紹介したところ、
そのうち2名の方がやはり旧士族の家系であると名乗り出てくださり、
さらにその方の知り合いの被害者にも士族階級出身の方がいるとの情報を
寄せてくださいました。
Profile

yenu

Author:yenu
The Writer of 『拝啓 ギャングストーカー犯罪者の皆様』(Dear COINTELPRO Criminals) and <集団ストーカーの死> The Death of Gangstalker; also Co-Editor of 「新しいタイプの人権侵害・暴力」 Unprecedented Human Rights Violation

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