2.【父が受けていた被害】

  レントゲン技師と臨床検査技師の資格を持ち、海上自衛隊基地の衛生隊長として長年勤務してきた
父は臨床経験も医学知識も豊富だったが、逆にそのため、人に被害を話せば「精神病」としか
受け取られないことがよくわかっていたからなのか、最後まで被害の全容を口にすることは
無かった。

ただ死ぬ一年ほど前に一度
「近所のやつらがお前のこと監視しとるぞ」と
言ったことがあった。父は決して根拠もなく人を悪く言うような性格ではなかったので、
その言葉は鮮明に記憶に残っている。
このとき自分はまだ、これが大掛かりな組織犯罪という認識は無かったものの、
近所の人間たちの不審さには気づいていたので「うん知っとるよ」と答えると
「どんな奴らがやりよるんか?」と逆に父は私に聞いてきた。
残念ながらそのとき自分は何と答えたかは記憶にない。

他に父が受けていた被害が客観的に推測される事柄としては、

・普通ならうるさくて眠れないだろうと思われるほどの大きな音量で、テレビをつけたまま
寝ることが多かった。
これは後に自分も受けるようになってわかったことだが、
様々な「音」により精神的に追い詰める被害に対処するためだったに違いないと考えられる。


・<顔面の痒み>

 同居していてもほとんど会話しなかったが、死ぬ一年前ころ(被害がひどかったと
思われるころ)一度、父が自殺を企て、その後、食卓で向かい合って長時間
話をしたことがあった。
その際、ときおり(顔を洗うときのように)何度も片方の手の平で顔をこすっていた。
以前から、そんな癖など無く仕草が奇異だったので印象に残っている。
今は私も「顔に痒みを与える危害」を受けるため、それがハイテク凶器による
身体攻撃の一種と知っているが、当時はまだ私へのこのタイプの危害は始まってなかったので
そのときはただ父の不自然な様が気になっただけだった。

・こちらは何も思い当たることがないのに、自分が仕事から帰るなり、カッカしながら
いわゆる八つ当たりのように突然怒鳴ってくることが何度かあった。
これはよくある被害例として報告されている
「家族などの身近な人間との関係を破壊し孤立させる工作」を
受けた日だったのだろうと考えられる。

父が自衛隊在職中、同僚の方がかつて
「あんたのお父さんは、ほんといっつもにこやかして怒ったとこ見たことない。
 うちでもやさしいやろ?」と、
何でそんなに人がいいのかと、
半ば呆れられているようにもとれる口調で語ったほど性格は温厚だった。

  それでも厳然たる階級社会である自衛隊のことなので、ごくたまに(10年に一度くらい)
抑え難い屈辱的な出来事にも遭遇することはあったようだが、そんなときでさえ
子どもの私には
「マサ(筆者)は、こんな悔しい思いせんでええように、しっかり勉強して
 偉う(偉く)なれ」と
悔しそうに言うだけで、八つ当たりなどする人柄では決してなかった。


・うちから一軒おいた近所のOB(仮名)という家の主婦が、早朝や日中、
その隣の家の主婦と塀を挟んで、(普通ならお互い向かい合って話すものだが、そうではなく)
ふたりとも我が家のほうに体を正対させ大きな声で毎日30分くらい「立ち話」を装い、
それも普通の会話というよりは、聞こえよがしな、わざとらしい「嘲り笑い」を
浴びせるように何度も繰り返すのだった。その様子から、何か私のことを
馬鹿にして楽しんでいるように見えたが、今にして思えば
実際の会話の内容としてはどうでもよいことを話していたのだろうと考えられる。

あるとき、庭で草をむしりながらこの嫌がらせに心痛している父の横顔を見たことがある。

特に早朝はこちらの睡眠を妨害されるし、あまりにも悪意的で意図的にやっているのが
明らかだったので、腹に据えかねたある日、ベランダに出て彼女らのほうを無言で
一瞥してやると翌日から、やらなくなった。


・<無言電話>

父はリビングに布団を敷いて寝ていたのだがその部屋には電話が置いてあり、
深夜や朝の六時などに度々無言電話があって起こされていた。

1.【父の死】

 * 心臓の弱い方や、むごい現実はあまり知りたくない方は読むのをご遠慮ください

 父は海上自衛隊の幹部として定年まで勤め、
その後、山口県でリタイア生活を送っているときにギャングストーカー被害にあいました。

そのとき自分は一緒に実家に住んでおり同時に自分も被害にあっていました。

1.【父の死】

  2004年9月23日、雷をともなう激しい雨がふりつづいた一日だった。

私は勤めていた学習塾での授業を午後10時すぎに終え、いつものように自宅近所の

ファミリーレストランに寄って教材に目を通す。行儀の悪い若者のグループが

三々五々と入ってきて日付が変わったころには、うるさくて仕事に集中できないほどの

バカ笑いとお祭り騒ぎが続いていた。


深夜2時ころだったか店の前の国道を実家の方角から救急車がけたたましくサイレンを

鳴らし猛スピードで通り過ぎていった。

すると、あれほど騒いでいた連中が急にぴたりと一斉に静まり、次々に店を出て行ったの

が異様だったことをよく覚えている。


それから一時間くらいして帰宅。いつもならその時間は真っ暗なはずの家のなかから煌々と

明かりが照っている。不審に思いながら家に入ると寝ているはずの父の姿がない。階段を

進むと土足で駆け上がった靴底の跡(あとで救急隊員のものとわかる)が

くっきりいくつもあり、ただならぬ気配に気づく。

そして2階にある浴室に近づいたとき体が凍りついて頭の中が真っ白になった。

開け放たれた扉の向こうで、排水溝をつまらせ浴室の床一面真っ赤に血が溜まって

いるのが視界に飛び込んできたからだ。

まるで人間の血で作ったプールのようだった。

足がすくみ、ただ膝がガクガク震えだし一歩も動けなくなるということを生まれて初めて経験した。

バスタブには蓋がしてあり、その上に洗面器がひっくりかえして置かれ

さらにその上に血のついた医療用の使い捨てメスが置かれていた。

同居している継母も居らず携帯の番号も知らないので、近くに住む姉に電話するが

こちらの言うことが信じられないらしく、なんでこんな時間に電話してくるのかと

一方的に怒るだけで話にならない。 なす術もなく立ちつくしていると家の外から車のエン

ジン音が聞こえた。(通り抜けのできない新興住宅地の真ん中に位置する我が家の前の道

は深夜にはまずほとんど人も車も通らないので、それだけで不審だが)カーテンを

ずらし窓から外をみると見慣れないライトバンが横付けしているのが確認できた。

その途端ライトバンはすぐに車を発進させ消えていった。


そうこうするうちに玄関のチャイムが鳴り背広を着たふたりの男(刑事)が

外にたっているのが玄関のガラス越しに目に入る。

扉をあけると

「午前三時六分、お父さん亡くなりました」と事務的な口調で告げ、その言葉の

意味がにわかには呑み込めないで呆然とする自分にはかまわず「実況見分させてください」

と風呂場へとせかした。現場経験は豊富なはずのその刑事も写真を撮る前に思わず

「うわあ、こりゃひどい」と言葉を漏らすほど凄惨な光景だった。

人間の体には本当にこんなにも大量の血が流れているのか信じられないほど文字通りの

血の海だった。


なお継母は風呂場のすぐ隣の部屋で寝ていてうめき声が聞こえたものの

一時間くらいしてから風呂場の様子を見に行き発見したと言っている。


 後日、親戚の叔父(父の弟)は父について「決して自殺なんかする性格じゃなかった」と

語っていた。またその叔父の奥さん(自分からみて叔母)も、

20数年前になるが父が今の継母と再婚するとき、ある筋から

「やめたほうがいい。H家(筆者の家)を乗っ取られることになるよ」と忠告があった事実を

教えてくれた。


・親戚の叔父のその他の証言(父の死について)


生前、父は死の数年前から私の叔父(父の弟)に対し

「この町に居りたくもないが、死にたくもない」

ともらしていたこと、また正月に会うたびに

「今年もまだ(自分は)生きとったか・・・」と

毎年言っていたと証言した。これは数年にわたり父を死に追い詰める脅迫が

集団によってあったことをうかがわせる。
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yenu

Author:yenu
The Writer of 『拝啓 ギャングストーカー犯罪者の皆様』(Dear COINTELPRO Criminals) and <集団ストーカーの死> The Death of Gangstalker; also Co-Editor of 「新しいタイプの人権侵害・暴力」 Unprecedented Human Rights Violation

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